ゲイじゃなくっても
2010年 05月 27日
なんかこの前のブログのエントリーから、私ってすごいゲイに対して批判的じゃなかった?って反省してしまいました。「ゲイなんて好きになっちゃった私って、救いようなくない?」みたいな文章だったから。
連休前から、今の会社で、多分この先大きな違いを生むんじゃないかなぁ?って思うような決断をしてほしいと言われて、私なりに考えてみたの。その時に、長く働いてる女性達にも聞いてみたりして、「あなただったらどうする?」っていうような事を聞いてみた。
その時に、今の私に周りにいる人って、すごいいい人達だなぁって思った。
世の中、特に、仕事やら損得がある世界では、選択肢がたとえば二つあった時に、自分が得をするほうを選ぶのが当たり前になってる。それが、その世界の中の、メインのコンセプトっていうか、そのゲームに参加して、ゴールというか、上がりの目的が、得をする事とされているケースが多い。非営利団体とかじゃない限り。
それだけじゃなくって、なんかしら、自分以外の他者がいる場合、直接的じゃなくても、その後でも、自分にとって有利になる選択を無意識なり、意識的にしてる場合が多いと思う。
それが、自分の心の意思と同じならば、問題ないけど、それを問いかける余地すらないというか、そんな事をしない場合もあると思う。あまりにもその世界のルールが身にしみついてると、離れて見ると、そういう事してもいいんじゃない?って思うような単純な事すら、考えなかったりする。
そう、この心の声に従うって、恋愛とかではあるじゃない?
それも、私の中では、「あぁーなんでそっちいっちゃうの?」っていう思うような、不幸の道へ行くような場合が多い。私自身が、すごい慎重だからかも。そういう時に、「一体、何回同じ事やって、学ぶの?」っていう女性を見ては、「うーん、心からの欲望には勝てないってこと?」って思ってた。
そういう意味では、「考えないで決断するのは、バカ」って私は思って生きてきた。
それが、多分、世の中の流れも変わってきてるからだろうけど、考えるという事と、自分が心から欲する事をするという事が、そう相違なくなるようにしたいと感じるようになってきた。
その、心の声というか、自分が持って生まれた個性とか考え方っていうのを、自分自身が大切にしてあげるっていう事の重要性に気付いたって事なのだろうけど、それが、広い世の中の価値観とか、勝ちのルールと一緒じゃない時もある。
長いものには巻かれておこうって、どっちでもいい時はいいけど、本当は嫌な時でも、承諾したりして、それが「大人」ってモンだなぁって自分でも酔ったりして。
最近、それが段々、バカバカしくなってきた。変だけど、人生、この先どれぐらい長いか分からないのに、一体、自分の心のままに生きなくって、いつその時間があるっていうんだろう?って。
もちろん、心の声と、得する答えと、自分の声に従えないと時も多々ある。やっぱ、私はそんなに偉くないし、そんな裕福じゃないし、恵まれてないし、「こうしたいんです」っていう勇気とか、リスクって、大きさによってはとても取れない。 だけど、小さいところから、やってかないといけないんじゃないか?って思ったり。
そこから、かなり、話をはしょるけど、ゲイの人って、或る意味、すごいなぁって。
まぁ、何にも考えてないって人もいるだろうけど。
どっかの国で市長だったんだけど、カミングアウトしちゃった人とかいたよね? あのニュース聞いた時、なんで押さえられなかったんだろう?って思った。まるで、病気が発病しちゃった人みたいに。或る程度の地位とかにいる人なら、当然、まっとうな頭で考えれば、分かる事なんだけど、私はこうやって生きていきたいんですっていうのって、損な選択肢になっても言うって、大事なんだなぁって思うようになった。
私はそういう風にして、物事とか自分の事を選んでいける人が好きだし、自分もそうなりたいと思ったので、それを既にやってる人を見ると、ものすごく魅かれてしまう。
その心の声と、外から見た得な選択が合致してる人って、ときどきいるんだよね。どっちかがオカシイからって場合もあるけど。
心から金儲けが好きな人っているからね。 自分が好きな事をやって、お金が儲かる方法を見つけられた人は幸せだと思う。でも、そういう風に選択していかないと、一向にたどり着けそうにないし。
あまりにも、まとまりないけど、今って、思い通りに出来ない人ばかりで、それをお互い暗黙のうちに慰めあって、笑いにしてるような気がして、そんなの全然面白くないんだよね。その人達も持ってる、少しの安心感よりも、「あいつ、バカだなぁ」って最初は思われても、その後で「そういう風に生きれてうらやましい」くらいに言われるような、選択をしていって、その道を突き進んで行くって、そんな大袈裟な事じゃない事にしても、いいと思うんだけど。
ジョニー・ウィアーとかも好き。 彼だって、あんなゲイっぽい雰囲気じゃないほうが、本当にメダルを狙うんだったらいいんでしょ? いくらアーティストっていう分類に、アイススケーターがなったとしても、お堅い頭の人もいるだろう全米アイススケート協会(ってのがあれば)の人は、「あんな女っぽい男は、代表に出来ない」と思われちゃうかもしれないのに、彼は、あれで堂々演技して、私は好き。 ただ、彼がどれだけスケートの技術がすごくなっても、オリンピックっていう世界では、メダルは取れないだろうと思う。それは、やっぱりキワものだからかな。
連休前から、今の会社で、多分この先大きな違いを生むんじゃないかなぁ?って思うような決断をしてほしいと言われて、私なりに考えてみたの。その時に、長く働いてる女性達にも聞いてみたりして、「あなただったらどうする?」っていうような事を聞いてみた。
その時に、今の私に周りにいる人って、すごいいい人達だなぁって思った。
世の中、特に、仕事やら損得がある世界では、選択肢がたとえば二つあった時に、自分が得をするほうを選ぶのが当たり前になってる。それが、その世界の中の、メインのコンセプトっていうか、そのゲームに参加して、ゴールというか、上がりの目的が、得をする事とされているケースが多い。非営利団体とかじゃない限り。
それだけじゃなくって、なんかしら、自分以外の他者がいる場合、直接的じゃなくても、その後でも、自分にとって有利になる選択を無意識なり、意識的にしてる場合が多いと思う。
それが、自分の心の意思と同じならば、問題ないけど、それを問いかける余地すらないというか、そんな事をしない場合もあると思う。あまりにもその世界のルールが身にしみついてると、離れて見ると、そういう事してもいいんじゃない?って思うような単純な事すら、考えなかったりする。
そう、この心の声に従うって、恋愛とかではあるじゃない?
それも、私の中では、「あぁーなんでそっちいっちゃうの?」っていう思うような、不幸の道へ行くような場合が多い。私自身が、すごい慎重だからかも。そういう時に、「一体、何回同じ事やって、学ぶの?」っていう女性を見ては、「うーん、心からの欲望には勝てないってこと?」って思ってた。
そういう意味では、「考えないで決断するのは、バカ」って私は思って生きてきた。
それが、多分、世の中の流れも変わってきてるからだろうけど、考えるという事と、自分が心から欲する事をするという事が、そう相違なくなるようにしたいと感じるようになってきた。
その、心の声というか、自分が持って生まれた個性とか考え方っていうのを、自分自身が大切にしてあげるっていう事の重要性に気付いたって事なのだろうけど、それが、広い世の中の価値観とか、勝ちのルールと一緒じゃない時もある。
長いものには巻かれておこうって、どっちでもいい時はいいけど、本当は嫌な時でも、承諾したりして、それが「大人」ってモンだなぁって自分でも酔ったりして。
最近、それが段々、バカバカしくなってきた。変だけど、人生、この先どれぐらい長いか分からないのに、一体、自分の心のままに生きなくって、いつその時間があるっていうんだろう?って。
もちろん、心の声と、得する答えと、自分の声に従えないと時も多々ある。やっぱ、私はそんなに偉くないし、そんな裕福じゃないし、恵まれてないし、「こうしたいんです」っていう勇気とか、リスクって、大きさによってはとても取れない。 だけど、小さいところから、やってかないといけないんじゃないか?って思ったり。
そこから、かなり、話をはしょるけど、ゲイの人って、或る意味、すごいなぁって。
まぁ、何にも考えてないって人もいるだろうけど。
どっかの国で市長だったんだけど、カミングアウトしちゃった人とかいたよね? あのニュース聞いた時、なんで押さえられなかったんだろう?って思った。まるで、病気が発病しちゃった人みたいに。或る程度の地位とかにいる人なら、当然、まっとうな頭で考えれば、分かる事なんだけど、私はこうやって生きていきたいんですっていうのって、損な選択肢になっても言うって、大事なんだなぁって思うようになった。
私はそういう風にして、物事とか自分の事を選んでいける人が好きだし、自分もそうなりたいと思ったので、それを既にやってる人を見ると、ものすごく魅かれてしまう。
その心の声と、外から見た得な選択が合致してる人って、ときどきいるんだよね。どっちかがオカシイからって場合もあるけど。
心から金儲けが好きな人っているからね。 自分が好きな事をやって、お金が儲かる方法を見つけられた人は幸せだと思う。でも、そういう風に選択していかないと、一向にたどり着けそうにないし。
あまりにも、まとまりないけど、今って、思い通りに出来ない人ばかりで、それをお互い暗黙のうちに慰めあって、笑いにしてるような気がして、そんなの全然面白くないんだよね。その人達も持ってる、少しの安心感よりも、「あいつ、バカだなぁ」って最初は思われても、その後で「そういう風に生きれてうらやましい」くらいに言われるような、選択をしていって、その道を突き進んで行くって、そんな大袈裟な事じゃない事にしても、いいと思うんだけど。
ジョニー・ウィアーとかも好き。 彼だって、あんなゲイっぽい雰囲気じゃないほうが、本当にメダルを狙うんだったらいいんでしょ? いくらアーティストっていう分類に、アイススケーターがなったとしても、お堅い頭の人もいるだろう全米アイススケート協会(ってのがあれば)の人は、「あんな女っぽい男は、代表に出来ない」と思われちゃうかもしれないのに、彼は、あれで堂々演技して、私は好き。 ただ、彼がどれだけスケートの技術がすごくなっても、オリンピックっていう世界では、メダルは取れないだろうと思う。それは、やっぱりキワものだからかな。
by run_run_moon
| 2010-05-27 00:28
| 番外編